結婚式という妄想。
せっかくなので、ここらで結婚式について妄想しておこうと思った。
結婚という話題になると必ず結婚式の話もするし、よく考える必要があるなと思った。
ところが、いざ考え始めると
妄想をぶち壊す方向に進んだので妄想はちっとも楽しめなかった。
友達の結婚式に呼ばれる度に自分の結婚式の妄想をしていた。
こういう式にして、どんな衣装を着て、誰々を呼んでという具合に。
ところがどっこい、結婚が現実味を帯びてくると、なんか"ゼクシィ的価値観"に漠然とした違和感が湧いてきた。
というか、ゼクシィをきちんと読んでみたら違和感かな。
というわけで、
この機会に結婚について勉強しようと思い、図書館で結婚というワードに引っかかる書物を借りてきて、読み漁っている。
(私は本から知識を取り入れることを信頼しているのでたまにこういうことをする。)
はい。
とりあえず手始めにと読んだ、
『結婚の条件』と『結婚の才能』
同じ著者の本なのだが、見事に違和感を言葉にしてくれた。
その部分をざっくりまとめると、
多くの女子大生にとって、結婚とは結婚式のことである。
結婚式というショーをすることが結婚のゴールになっている。
それは、なんか違うくない?(結婚式のあとに続く日常生活が結婚なんだけどなぁ…)
娘は母親の願望が心の中に住み着いていて、それがあたかも自分の願望のようになっている。
周りのみんな(何人か)がこうしてるから私もこうするのがいいって思いがち。
みたいな感じ。
なるほど。
それな!!!!!!ってなった。
結婚式って、外箱の部分というか、あくまで通過儀礼だなぁと思った。
確かに、その後の生活の方が比重としては大事だと思う。私はね。
結婚式はしたいけど、ショーはしたくないなぁ…と思った。
後ね、結婚するってなったら、親とかがこんな結婚式が理想みたいなことを確実に言ってくると思うんですよ。確実に。
でもね、私は親の願望を叶えるためのお人形じゃない!!と反抗期の子供みたいなことを思いまして、自分の望むようにしたいなぁと思うのです。
一生に一度(予定)のことなのだから、内在化された他者(親、友人)の意思ではなく、自分の意思で決めたいなぁ…なんて、思うのです。
わがままっぽいけど、
周りが右を向けと言ったら右を向くんじゃなくて、
「右を向け」と言ってるのは誰なのか、右には何があるのかを考えて、どっちを向くかを決められる人に私はなりたいのです。