主婦の思考のたれながし

23歳の専業主婦です。言葉が溢れた時にここに吐き出します。

結婚式という妄想。

せっかくなので、ここらで結婚式について妄想しておこうと思った。

 

結婚という話題になると必ず結婚式の話もするし、よく考える必要があるなと思った。

 

 

ところが、いざ考え始めると

妄想をぶち壊す方向に進んだので妄想はちっとも楽しめなかった。

 

 

友達の結婚式に呼ばれる度に自分の結婚式の妄想をしていた。

こういう式にして、どんな衣装を着て、誰々を呼んでという具合に。

 

 

ところがどっこい、結婚が現実味を帯びてくると、なんか"ゼクシィ的価値観"に漠然とした違和感が湧いてきた。

というか、ゼクシィをきちんと読んでみたら違和感かな。

 

 

というわけで、

この機会に結婚について勉強しようと思い、図書館で結婚というワードに引っかかる書物を借りてきて、読み漁っている。

(私は本から知識を取り入れることを信頼しているのでたまにこういうことをする。)

 

 

はい。

とりあえず手始めにと読んだ、

『結婚の条件』と『結婚の才能』

同じ著者の本なのだが、見事に違和感を言葉にしてくれた。

 

その部分をざっくりまとめると、

多くの女子大生にとって、結婚とは結婚式のことである。

結婚式というショーをすることが結婚のゴールになっている。

それは、なんか違うくない?(結婚式のあとに続く日常生活が結婚なんだけどなぁ…)

 

娘は母親の願望が心の中に住み着いていて、それがあたかも自分の願望のようになっている。

周りのみんな(何人か)がこうしてるから私もこうするのがいいって思いがち。

 

 

みたいな感じ。

 

なるほど。

それな!!!!!!ってなった。

 

 

結婚式って、外箱の部分というか、あくまで通過儀礼だなぁと思った。

確かに、その後の生活の方が比重としては大事だと思う。私はね。

結婚式はしたいけど、ショーはしたくないなぁ…と思った。

 

後ね、結婚するってなったら、親とかがこんな結婚式が理想みたいなことを確実に言ってくると思うんですよ。確実に。

 

でもね、私は親の願望を叶えるためのお人形じゃない!!と反抗期の子供みたいなことを思いまして、自分の望むようにしたいなぁと思うのです。

 

 

一生に一度(予定)のことなのだから、内在化された他者(親、友人)の意思ではなく、自分の意思で決めたいなぁ…なんて、思うのです。

 

 

わがままっぽいけど、

周りが右を向けと言ったら右を向くんじゃなくて、

「右を向け」と言ってるのは誰なのか、右には何があるのかを考えて、どっちを向くかを決められる人に私はなりたいのです。

 

愛する人がいるだけでいいのだ。

ゼミの先生とお話しした。

 

大学を辞めることを話して、これからの暮らしのことを話した。

 

 

先生は、結婚したいと思う人がこの世にいるのならその人と結婚してその人を支えて頼って一緒に生きて行ったらいいという。

それが、最高の生き方だという。

 

 

世の中の、女性の活躍がどうこうという風潮とは真逆のことだけど、言われてみれば確かにそうだ。

 

 

愛する人がこの世にいて、その人と一緒に生きていけたらそれだけで充分だ。何も不足がない。

 

 

「無理して働かなくたっていいのよ。稼いできてくれる人を支えることだって立派な仕事なんだから。」

 

 

それな、としか言えない。

 

 

いわゆる今時の生き方ではないかもしれないけど、

そもそも私はゴリゴリ石を削って石器を作るのを楽しいと思える古代人なので、今時じゃない生き方の方がしっくりくる。

 

 

というか、

2017年を生きているからといって、2017年に"これだ"と言われている生き方をする必要なんて少しもなかった。

てかそれ、誰が言ってるの?

 

よそはよそ、うちはうち。

自分なりに好き勝手な2017年の生き方をしたっていいんだ。

 

 

というわけなので、

照れくさい言い方だけど、愛に生きようと思う。

好きな人に好きだと堂々と言おう。

 

私は直球だけを投げまくる直球勝負師なので、全力で直球をぶん投げよう。

 

 

大学の教授が、大学なんて二の次でいいから結婚して子供産みなさいなんてなかなか言わないだろう。

 

愛に生きて三カ国を渡り歩いて生きてきた人だから言える重みのある言葉だ。

 

 

そうして、ぶん投げてくれたのでがっちり受け止めようと思う。

そんでまた、自分もぶん投げる。

それが、わたしの生き方だ。

 

 

女の幸せとやらをがっちりつかんでやろうじゃないか。

 

 

先生みたいなカッコいい女目指して生きていこうじゃないか。

コンビニ人間を書こうと思えた。

病院の先生に学校を辞めると決めましたと話したら、よく決断したねと言ってくれた。

 

「とりあえず、地元に戻ってコンビニバイトでもしようと思います。」

というと、今のあなたならちょっと気のつく良いコンビニバイトになれるよと言ってくれた。

コンビニで無理ない範囲で働いて、コンビニ人間を書いて芥川賞を取ったらいいよと言われた。

相変わらずおもしろい先生である。

 

 

なるほど、そういう生き方もありだなぁと思えた。

 

大学に行くことがすべてだと思っていたけれど、そんなことはなくて

わたしが生きていける世界はちゃんとあった。

 

 

 

見えなかっただけで、わたしにはまだまだいろんな可能性があってできることがあった。

 

 

もちろん、できないこともたくさんあるけど、

できないことだけを数え上げて絶望していたって仕方がないし

できないことを無理してやらなくたっていいのだ。

できないことはできないままに、ひとりで全部やろうとしないで人の力を借りてみたらいい。

 

 

今までの私は、自分でなんでもかんでも成し遂げるのが至高って思っていたけど、そんなことはハナからできないことだったのだ。

現に今まで自分が一人で成し遂げたと思っていたことは、いろんな人のサポートや支えがあってなんとかなっていたものなのに。わたしはうぬぼれのあまりそのことに気付いていなかった。

 

 

おばかさんめ。

これからは、謙虚に傲慢に生きていこう。

人に支えられて生きていることを感謝しつつ、思い切り頼ろう。

 

 

生きているだけで、花丸満点なのだから。堂々と他生からの縁でそでを擦りあってくれているあなたの恩を受けようと思う。

 

 

その恩は、わたしがあなたのそばで生きることで返すから。

LINEより電話より何かを教えること

彼はいろんなことをわたしに教えてくれる。

コメの脱穀の仕方に始まり、UMAのこと、古事記のこと、オナホの構造、神棚の作り方……と数え上げればきりがない。

 

この間煮物の作り方を教わったので今日は煮物を作った。

 

野菜の皮の剥き方も味付けも落し蓋の作り方だって彼が教えてくれた。

 

 

彼にいろんなことを教わってしまったせい…いや、おかげで、わたしはあらゆるものを見る度に彼のことを思い出せる。

 

日常や心のあちこちにかなめさんが刺さっている。

 

 

 

ひっきりなしにLINEや電話をするより、コメの脱穀の話をする方がずっと相手に忘れられずに済むみたいだ。

だって、コメを食べる度に思い出す羽目になるから。

 

かなめさんにフラれたとしても、コメを食べずに生きて行くのはムリだもの。

 

糖質制限ダイエットをしていたって、煮物や魚で思い出すだろう。

おかずのない食卓はつらいからね。

 

 

もしも、"たたかい"の最中に彼が倒れてわたしの元に帰ってこなかったとしても
わたしは変わらず、彼の教えてくれた方法で煮物をつくったり魚をさばいたりして食べるだろうな。

 

 

相手に生活に密着した知恵を授けると一生覚えていてもらえるみたい。ナニコレ、すごい!!

 

 

付き合った男に花の名前を教えとくと、それが咲く度に思い出してもらえるよ。いぇーい。

的な話があるけど、本当それ。

 

 

わたしはかなめさんのせいで道端の草の名前をかなり覚えた。

食えるか食えないかもセットで。

 

 

恋人に忘れられたくないメンヘラ女子のみなさんは道端の草の名前を図鑑で調べて彼氏に日夜教え込んだらいかがだろうか?

鬼のようにLINEや電話をしたって既読スルーされるだけなのだったら、日常の中に自分をぐさぐさ刺しておいたらいいのだ。

 

 

煮物の作り方や魚のさばき方なんかは自分が生きる力にもなる。

生きる力は自分を守ってくれる。

着物を着ることのハードルが案外低かった

 

わたしは昔から着物が好きでことあるごとに着物を着ていた。

実家に着物はあったし母親が着付けをしてくれたので着ることができていた。

 

 

東京で一人暮らしを始めてから、そろそろ一人で着付けができるようになりたいななんて思っていた。

 

でも、着付け教室とか敷居が高そうだし、いくらかかるかわからんしなぁって尻込みしていた。

 

そんな時に、新宿のマルイアネックスで着物のなでしこさんというお店を見つけた。

そこでは、ワンコイン着付け教室というのをやっていて、

1時間のレッスンを4回習えば一人で着物が着られるようになるということだった。

4回通うだけでよくて2000円しかかからないんだ!着物着られるようになるのに!

最高かよって思って、4回通った。

 

結果は最高だった。本当に着られるようになった。もちろん完璧ではないけど

 

必要な道具はとりあえず実家から送ってもらって、

これでわたしは着物を自分で着る能力と必要な道具を得た。

 

 

そして、大胆不敵なわたしは着物を着られるような機会を見つけるとすかさず着物を着て出かけていった。

 

 

最初はめちゃめちゃ時間もかかったし、うまくできなくてもうやだーってなったりもしたけど

着物を着て出かけるとだいたい褒めてもらえるので、着物を着るのは楽しかった。

 

 

自分の気に入った着物もそろそろほしいなーと思いだして街を歩くと、古着の着物屋さんを見つけた。

わたしが最初に行ったのは、たんす屋さん。そこで、売られている着物は想像より全然安かった。

3000円くらいでも1着買えてしまう。

なんだ、洋服買うのと変わんないじゃん。

 

 

なんだ、着物を着るのってそんなに大それたことじゃないんじゃん。って思った。

 

 

初心者が必死に着た感じなので、街中でおばさまなんかに声をかけられて直されることもあったけど、

そういう人たちって、お前みたいな初心者が着物を着るなとか絶対言ってこないし

なるほど、こうすればよかったんやーということを身をもって教えてくれて、頑張って着ててえらいわよって褒めてくれる。

 

初心者なんだし、着たいから着ているのだし胸を張って着てしまえばよいのだ。

着物を着ることのハードルは近付いてみてみるとまったく高くない。

 

 

ここから、奥深い着物の魅力にずぶずぶはまって行くのはまた、別に書こうと思う。

 

 

クリエイティブすぎて困ってます。

 

わたしが破壊したしゃもじホルダーをピンバイス(特殊な工具)で修理しようとするような彼なので、普段からやたらとクリエイティブ精神に満ち溢れている。

 

 

実際に、彼は数々の野菜はもちろんのこと米の栽培にまで手を出している。

味噌も味噌玉から製造しているらしいし

 

繊維から糸をつくるからと、木の枝を玄関に置いていたこともあった。

 

 

煮物を作るのにみりんがないと言ったら、

 

「みりんなぁ…頑張れば作れると思うんだよなぁ」

 

と頭をひねっていた。

 

 

………ツッコミどころが多すぎるので今回はあえてつっこまない。

 

 

やたら嬉しそうに帰ってきたな、と思ったら、粉からこんにゃくを作れるキットを買ってきたのだという。

 

 

おっかなびっくりわたしもこんにゃくの製造に協力したのだが、

初期状態のこんにゃくが金魚のエサの匂いしかしないので、慄いていた。

 

金魚のエサの匂いからこんにゃくの匂いに変わった時はちょっと感動した。先人の知恵というのはすごい。

 

そうしてわたしたちはこんにゃくを作り上げた。

 

こんにゃくはおでんで食べるのが最高なので、味噌だれも作ってこんにゃくをおいしく食べた。

 

 

手作りのこんにゃく、最高。

 

 

最近私たちが一番エキサイトした話題は、

なかなかフィットする足袋がないから作ろうか→足袋作れるなら帯とか余裕で作れそう→てか、着物作れば安上がりでは→とりあえず、帯と足袋作ってみんべぇ

 

ということになって、実際にユザワヤに布を買いに行った。

 

縫い物はわたしの専門分野なので滾って布を選んでいたら、彼が言い放った。

 

 

「布もさ、織れたら最高だよね。」

 

 

は????そこから?そこからやるの?

やばい、レベルが違った…

 

「機織り機どうやって入手するかは問題だけど、最悪作ればいいよね。」

 

 

うん????

いや、ど正論なんだけどね?

 

 

わかるよ?言いたいことはわかる。

わかるけど、一体わたしたちが何を目指しているのかがわからなくなってきたよ、パトラッシュ……

 

 

布を織るのはおもしろそうだから機織り機でもなんでも作ればいいと思うけど、そうなると彼は綿花を栽培してそこから糸を紡ぎだしそう………

 

 

彼のそういうところ、おもしろいと思うし、わたしもノリノリで型紙ポチったり、機織り機の入手方法を考えたりしているのだけど、

わたしたちは一体どこに向かっているのだろう……パトラッシュ………

 

 

とりあえず、はちゃめちゃにクリエイティブな彼と暮らしていると常識がぶち壊されるのでとても楽しい。

 

 

 

年末年始、実家のミシンで帯を縫うつもりでいるので相当クリエイティブ菌がうつってきているな、とは思う。

たまに本当に魔法が使えるようだ

 

魔法使い(童貞)であった彼なのだけれど、たまに本当に魔法が使える時があるのをわたしは知っている。

 

 

彼が、わたしが疲れている時や緊張して凝り固まっている時を見抜いて、かける呪文がある。

 

「うずらさん、今日銭湯行こうか。」

 

 

こう言って彼はわたしを銭湯に連れ出してくれる。

 

 

2人で銭湯に行って、出る時間を決めて、意外と長風呂な彼を待ちながら、熱いお湯に浸かってみたりぬるいお湯に浸かってみたりしていると

不思議と気持ちが楽になってくる。

 

 

なんか、まあ、今日もいい一日だったかもしれないと思えてくる。

 

 

 

不思議なことに、

疲れたとか、落ち込んでるとか

一言も言わなくても、彼にはなんとなくわかるらしい。

 

そして、どうしたら元気になるのかわかるらしい。

 

 

わたしは、銭湯とか温泉とかお風呂が好きだ。

知らない人でも知ってる人でもいいから、人と一緒にお風呂に入るのが好きなのである。

 

 

そんな話をした覚えはないけど、毎日、「一緒にお風呂に入ろう!」

ってせがんでいるからバレたのかな

 

 

こんなこともあった。

具合が悪くて何も食べられないでいるわたしに、彼がりんごをむいてくれた。

 

一口だけかじってまた横になると、今度は焼きりんごにして持ってきてくれた。

 

 

焼きりんごは柔らかいので食べられた。

 

 

わたしは具合が悪いときはいつもりんごを食べる。

擦ったり、煮たり、焼いたり、食べやすくして

 

 

そんな話をした覚えはないのにどうして彼にはわかるのだろう。

 

 

たまにそういうことがある。

 

わたしは彼はやはり魔法が使えるらしいと思っている。

 

 

それか、実はエスパーで心の声が聞こえるのかもしれない。

 

 

 

 

 

(…あなたのこころに、直接呼びかけています……….、松屋牛めしを……買うのです………並盛りで………)

 

ってやれば、LINEという文明の利器の力を借りなくても、松屋牛めしを買ってきてもらえるんだろうか?

今度、試してみよう。